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英語習得の本質 - 英語とは何のために習得するものなのか? | 日本人のための英語習得Tips


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『英語を何のために習得するのか?』

この問いに対する答えは、人それぞれ違うだろう。英語圏の友達ともっと話ができるようになりたい、学校のテストで良い点数を取りたい、資格試験でハイスコアを取り就活に生かしたい、仕事で必要に迫られてしまった、英語を話せることでカッコよさを得たい、なんとなく習得すること自体が楽しいから、等々、英語を習得している方々は、それぞれで理由を持っているはずである。

『英語とは何のために習得するものなのか?』

一方で、この問いに対する答えは、1つであることが然るべきなのではないかと筆者は考える。「英語で意思疎通できる人達とコミュニケーションを取るため」がその答えで、英語を習得することの本質であるはずである。英語の学習方法は、一般に、読む(リーディング)、書く(ライティング)、聞く(リスニング)、話す(スピーキング)に大きく分けられ、語学学校でもこの4つをバランスよく教えているし、資格試験でもこれら4つの力を問うのが英語圏では普通である。これら4つの力は、疑う余地もなく、コミュニケーションを取る力である。人に何かを伝えるために書く力と話す力が必要であり、人が発信していることを理解するために読む力と聞く力が必要である。

本質についてもう1つ、英語の本質についても触れたい。英語そのものは、コミュニケーションをとるために非常に重要なツールである一方で、ただのツールでしかないという側面もあるとも言える。

何か物事を学んだり習得したりする際、それらの本質を理解し、本質そのものとして習得することが何よりも大切だと筆者は信じており、英語も例外ではないはずだと考える。「英語」=「コミュニケーションのツール」なのであるならば、「ツール」として英語を習得することこそが、「英語」を学ぶことで然るべきはずだ。ちょっと混乱しそうだが、「英語を学べば、ツールとして使いこなせるようになる」のではなく、「ツールとして使いこなせるようになることこそが、英語を学ぶこと」なのである。

オーストラリアに来て、英語を第2言語として話すたくさんの人と会って感じることは、大半の人は当たり前のように英語を話すということである。仕事のため、カードゲームを楽しむため、恋話をするため、みんなを楽しませるため、ちゃかし合ってバカ話をするため。もちろん彼らの話す英語は完璧ではないが、コミュニケーションをとるために英語を話すのが彼らにとって当たり前である。筆者は日本に住んでいたとき、『英語を話せる人』=『特別なスキルがある人』あるいは『特別な努力で英語を身に付けた人』のようなイメージを持っていたが、こちらでたくさんの友人たちと出会い、『英語を話せることは全くもって特別なスキルではなくただのツールでしかないのだ』と思うようになった。彼らは英語をツールとして使いこなせるようになっていくことを前提として、今の生活を楽しんでいるし、帰国したあとのキャリアやオーストラリアでの長期滞在や永住を考えている。

冒頭で述べたように、私は『英語を何のために習得するのか?』に対する答えを個々人で持っていることを認識しており、英語学習者の中には、英語を習得することの本質と直結しない理由を持っている人もいることを理解している。例えば、"テストのためだけ" や "資格試験のためだけ"、というのが本質と直結しない理由の例だ。これは、少なくとも日本の社会ではそれが求められているからであり、筆者は、この理由を持って英語を習得している人を否定していない。日本だけでなく、例えば、オーストラリアでも、大学に入学したい場合には、資格試験で一定以上の点数を取っていることが入学条件として必要である(むろんこの入学条件の本質は、オーストラリアの大学が、一定レベルの英語を使いこなせる能力を入学者に求めているのであり、テストで高い点数を取れる学生を求めているわけではない)。私も、必要に迫られたら資格試験のために勉強をしないといけない時がくるかもしれない。

ただ、やはり本質と直結した理由を持った英語習得の方が、習得過程にポジティブに働くのではないかと思う。例えば、英語習得の効率を上げるかもしれない。英語が『コミュニケーションのツール』である以上、ツールとして使う方法を身に付けるべきである。そういう意味では、個人の中だけに閉じるような習得は優先されるべきではないかもしれない。一人で単語帳を覚えたり日記を書き続けたりするよりも、誰かと英語でメッセージのやり取りをしたり、実際に人と話すほうが、『ツールとして使いこなせるようになるため』に優先されるべきではないかと筆者は考える。

また、本質と直結した理由を持つことは、習得のモチベーションを得るためにも重要であろう。例えば、日本語翻訳版が無いが心底読みたい本を見つけることで、英語の本を読む高いモチベーションが得られるだろう。英語を話すが日本語は話せない友人を作ることで、英語で会話する高いモチベーションを持つことになるはずだ。

逆に、本質と直結しない理由は習得過程にネガティブに働くに違いない。筆者が特にオススメしないのは、『”英語力をつけるため”だけに何かをすること』である。『英語力をつけるために英語の本を読む』、『英会話力をつけるために英語圏の友人を作る』というようなことはするべきではない。『英語力をつけるために』ではなく、『○○のために、コミュニケーションのツールとして英語が必要』であるべきだからである。本質からズレたことをしてしまうと、英語の向上に重要なポイントを掴めず非効率な習得方法をとってしまいかねないし、習得においてハードルの高さを感じた際に、モチベーションを失ってしまうかもしれない。

以上、今回の記事では、筆者が最近ふと考える機会があった、『英語の本質とは何か?』、『英語習得の本質とは何なのか?』について、みなさんに共有したかった。みなさんの英語習得にとって何かしら役立つことができれば嬉しい。