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私の心霊体験(?) 第5回 偶然とは思えないタイミングで見た夢


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筆者の心霊体験(?)記事、第5回。

今回は、これまで私が体験したものの中で、仮に心霊的な何かだったのだとしたら最も納得がいくもの

 

※この心霊体験シリーズは、下記のもとで記載することとしている。

 ・信憑性を保つため、私自身、あるいは私の身内(家族)の体験に限る

 ・ 体験したことをリアルに伝えたいので、ザ・怖い話といった感じのオチのあるよな書き方にはできないかもしれない

 ・体験の恐怖度のレベルを、私自身が感じる怖さから5段階「甘口、中辛、辛口、激辛、超激辛」で表す
  ※このレベルは最近ハマっているYouTubeチャンネルの オウマガトキFILM さんのをマルパクリした形である。(オウマガトキFILMさんへ。無断でマルパクリしてすみません…どうかお許しを。)

 

それでは、さっそく今回の話に移る。

 

怖さレベルは・・・ 甘口

 

 

それは、筆者が高校1年生だった頃の冬。

テスト週間の真っ只中にいた私は、直前の勉強に追われていた。学校の勉強が大嫌いだった私は、普段は全く勉強をしない不真面目な学生。テスト直前だけ詰め込みで勉強し、短期記憶勝負に賭けるような姿勢を貫いていた。

 

翌日にテストを控える科目を前日の夜から勉強し、ほぼ徹夜でテストを迎える

→ 午後3時ころにテストを終えたらすぐ家に帰り、4時間程度仮眠を取る

→ 夜に起きて翌日の科目を朝まで勉強

 

というのが、テスト期間中の私の生活サイクルだった。

 

ある日、テストを終えて帰宅し、いつものように仮眠を取っていたところ、ある夢を見た。

その夢は、私が物置小屋の中にいるものだった。その物置小屋は、私が小さい頃に母親の実家にあったもので、古い木造2階建て。高校当時はもう新しい小屋に建て替えられていた。夢の中の私は、その古い物置小屋の中を探索している。そして私のすぐ隣には、曾祖母が一緒にいた。

 

夢の中の小屋は、私の記憶の中にある小屋とは若干様子が違い、やや広くなっており部屋数や構造物が多くなった印象だった。様子の違う小屋は探索心をくすぐり、夢の中の私は、もっと奥まで進んで見て回りたい気持ちを持っていた。

一方で小屋の中は薄暗くもあったので、1人で奥へ進むのは少し怖い。ただ、そこには曾祖母が一緒にいたので妙に安心感があったのを覚えている。

夢の中の私は曾祖母と会話していた。細かい内容までは覚えていないが、「あれは何?」、「あれ何に使うの?」という農具などに関する私の質問に、祖母が答えるような感じのものだったと思う。

 

見た夢の内容はそれだけ。探索中の一場面を切り取ったような非常に短いものだった。あるいは、実際は長く夢を見ていたが、一場面以外の部分は起きるまでに忘れてしまっただけかもしれない。いずれにせよ、短い夢ではあったが、探索心、懐かしさ、怖さ、安心感など、色々な感情が湧いてきた夢だった。

 

その夢を見たあとどれくらいの時間が経ったのかわからないが、私は目を覚ました。そのとき私は、「曾祖母が夢に出ることなんてこれまであったっけ?曾祖母の夢を見るなんて珍しいなー」と思ったことをはっきり覚えている。

そして夢には妙なリアリティがあった。というのも私が小さい頃、実際に「誰か」と古い小屋を探検したことが何度かある。おそらく子供だった私は、夢の中の私のように「あれは何? 何に使うの?」と、初めて見る農具などに興味深々だっただろう。

その時に一緒に探検した「誰か」は、確実に曾祖母か祖母かのどちらかだったのは間違いないが、どちらだったかまでは覚えていない。あるいは別々の機会に、曾祖母と祖母のそれぞれと探検していたかもしれない。

いずれにしても、探検した記憶はあったので、その時の夢は「子供時代を回想」しているような感覚だった。

 

現実に戻った私は、そろそろ勉強しなくてはと思いつつも気乗りがせずにベッドの上でゴロゴロしていた。もう少しだけ寝たい自分と勉強しなければという自分が戦っているうちに、夢のことはすっかり忘れてしまった。

そんななか、仕事から帰ってきた母親が2階への階段を上ってくる音が聞こえた。2階へ来た母親はそのまま私の部屋を開け、こんなことを言った。

 

「大きいばぁさん(曾祖母の意味)がもう長くないかもしれないんだって。お見舞いに行かないか?」

 

これに対する私の返答は、

「明日テストだから無理。土日にしよう」

そう冷たく言い放った私は、机に向かい、テストに向けての詰め込み勉強を始めた。

 

翌日、テストを終えた私に一報が届いた。

「曾祖母が亡くなった」

 

曾祖母の家に向かう車の中、私は母親に言った。

「そういえば昨日ばぁさんの夢見たわ。会いに来てくれってことだったのかもなー。まぁでも仕方ない。勉強しなきゃだったし。みんな年取ったら死ぬんだから受け入れるしかない」

思春期の私は、悲しんでいる自分の姿を見せないように強がった。

 

家につき、亡くなった曾祖母の姿を見た私は、涙が滝のように溢れた。初めて亡くなった人を見た私は、「空っぽになってしまったような曾祖母の姿。あんなに優しく温かかった曾祖母の心はどこへ?急に消えて無くなるなんてあり得ない」と思った。そして、「きっと魂か何かに姿を変えて、今も絶対どっかにあるはずだ」と感じた。

その後もしばらく涙は止まらず、祖母が用意してくれた夕食も喉が通らないほどだった。悲しさの中に、「昨日会いにいっていればよかった」という後悔も交じっていた。

 

亡くなる前日に曾祖母が夢に出てきたこと。これは偶然かもしれないし、曾祖母が会いに来たのかもしれない。

私個人的には、会いに来てくれたのだと信じたい気持ちが強い。

 

誰よりも優しく温かかった曾祖母。私を心の底から愛してくれた曾祖母。私が小さい頃、ずっと近くで見守って大切にしてくれた曾祖母。中学生、高校生に入り身体が大きく生意気になった私にも、「めごくて(可愛くての意味)、めごくて。○○(筆者の名前)は一番めごい。○○のこと、いっつも考えてる」と言ってくれた曾祖母。誰よりもストレートに愛を表現してくれた曾祖母。

きっと、天国に旅立つ前に、私に会いにきてくれたに違いない。

 

あの日不思議なことに、「母親からお見舞いに行こう」と言われたとき、この夢を直前に見たことを思い出さなかった。それは「私のことよりテスト勉強を優先させなさい」という、曾祖母が意図して思い出させなかったのかもしれない。優しい曾祖母ならそうした気遣いをしそうである。

今こうしてこの記事を書いている間、曾祖母の写真を手元に置いている。写真にうつる優しい曾祖母の顔を見ると、「仮に霊魂というものが存在するのなら、間違いなく曾祖母は近くで見守ってくれている」と思う。

日本を飛び出して、大方の日本人とは違った、少しひねくれた人生を送っているこんな私を、傍で見守って応援してくれているという気がしてならない。

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